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「戦国BASARA」シリーズに絡んで拾い出した、史実ネタやトンデモ系日本史ネタをコラム的に吐き出しております。長曾我部、伊達辺り多め。 初来訪時はカテゴリ→「初めにお読み下さい」を。
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政略だったり、なんだり、色んな思惑で繋がる戦国親戚関係。
詳しく言うと遠いよ、と言われてしまうアレなところをひとつ。


長曾我部元親の嫁。
明智光秀の義妹です。
詳しく言うと、
明智光秀の妹の婿の妹。
えーと…、もっと端的に言うと斉藤利三の妹になるのかな?


モノの本によると、元親が自ら望んで、「明智家に連なる姫」を嫁に選んだそう。
元親にはいくつかの思惑があり、ひとつは、名のある武将の縁者という娘であれば、後に名を残す英雄となるような強い息子を生んでくれるに違いないという、期待。
そして最大は、明智光秀を通じて、当時天下に王手をかけていた織田信長との繋がりを持とうとした、政治的思惑。
結果として、長曾我部家に信親という傑物がもたらされたことからして、思惑は成功したとみるべきか。


信親のこと、元親と信長の関係については、また別に語るとして……。
今回はこんなところ。
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幸村でもうひとネタ。

「人間50年」な寿命の戦国時代。
10代で結婚なんて当たり前、な時代。
次男だったせいもあるのだろうけれど、結婚遅めだった幸村。(ちなみに27才だったと…)
彼自身の嫁。
名前の記録は残っていなかったと記憶。
ただ、出自のみ。
大谷吉継の娘です。
(壱)に少し書いたので、次は幸村の兄嫁。

幸村の兄(信之)と言えば、真田家存続のために父(昌幸)、弟(幸村)と袂をわかち、関ヶ原では東軍についた人物ですが。
その嫁は小松殿。一説に菊姫。
徳川家から真田家に嫁いだ家康の娘です。
ただし、養女。
その実父は、誰あろう本多忠勝。
気丈で豪胆な女性で、信之が昌幸、幸村と袂をわかった後、夫の留守に訪ねてきた義父・昌幸を、薙刀振り回して門前払いにしたという逸話も。(これが、(壱)で書いた於梅姫と混ざったと思われるエピソード。小松殿=於梅姫、昌幸=小十郎な話になるわけだが、真田隊と伊達軍が交戦あるいは交流した事実はないはずなので、有り得ないと思われ。)
ちなみに、この門前払いエピソードは、「信之はあくまで徳川家に恭順するのだ」と印象づけるために、策士・昌幸が仕組んだ大芝居だった、という説もある。
戦国武将の親戚関係というのも、政略だったりなんだりで、実にカオス。
いろんなところから嫁をとったり、いろんなところに嫁にやったり、養子にやったり。

手始めは有名どころ。
片倉小十郎の息子(重綱または重長。こちらも俗に小十郎。)の嫁。
真田幸村の娘。於梅(おうめ)姫。
諸説あるが、幸村たっての願いで、大坂の陣のさなかに真田屋敷から連れ出され、片倉家に嫁いだという。
東軍西軍の敵対関係の名目上、「戦利品扱い」で連れ出された、という話も。
こちらも諸説あるが、当時12才。
小十郎の息子とは18たら20たら歳が離れていたと記憶。
(当時18才だったという説もあるが、一緒に語られているエピソードから、幸村の兄嫁、小松殿と混ざったと思われ。そこら辺はまた別の機会に。)
奥州に嫁に行くも、婿には既に正妻が。
ただ、大変身体の弱い奥方で、自分が長くは生きられないだろうことを達観しており、於梅姫をとても可愛がり、旦那と家の後事を託して亡くなったので、その後は正妻になったという。
残念ながら於梅姫には子供はできず、彼女がどう感じていたかはともかく、幸村の血脈を繋ぐことはなかった。

幸村の血脈については、またの機会に。
豊臣秀吉はO型だとか。


我が道をゆく八方美人と見るか。
それとも、帝王的性質と見るか。


これも、血判から調べたものらしい。
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