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「戦国BASARA」シリーズに絡んで拾い出した、史実ネタやトンデモ系日本史ネタをコラム的に吐き出しております。長曾我部、伊達辺り多め。 初来訪時はカテゴリ→「初めにお読み下さい」を。
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長曾我部について書かれた本をひもとくと、どうにも「背が高く、色白」だったという表記が散見される。 長曾我部元親については、ただ「長身で色白」だったという表記しか、今のところお目にかかっていないが、元親の長男である信親については、身長は「六尺一寸」だったと書かれている。 「六尺一寸」といえば、「約183cm」である。 戦国時代の成人男性の平均身長は160cm弱程度であるというから、優に20cm以上もでかかったということになる。 息子が180cm以上あって、「長身だった」という親父が平均よりちょっと高い程度、なんてこともないだろうから、当然180cm前後くらいはあったんだろうなぁ、などと思うわけで。
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長曾我部氏は元々「秦氏」を名乗っていた、という話は書いたが。
長曾我部氏の由来については諸説あるが、長曾我部氏が公然と書き記しているもののひとつが、古墳時代頃(西暦400年前後くらい?)に大陸から渡ってきた、いわゆる「帰化渡来人」の一族だというもの。
それも、「秦(しん)」の国、始皇帝の血統だという。(始皇帝十二世の孫とかなんとか、その辺が帰化したとか…)
真偽のほどは明らかではないが、長身で色白の少々日本人ばなれした外見の一族だったようなので、大陸渡りの一族というのは、あながち嘘ではないのかも知れない。

世が世ならあるいは中国皇帝だったかも、なんて。(笑)
領地が変わったり、倒した相手の絡みだったり、様々な理由でわりとしょっちゅう名前の変わる戦国武将。
長曾我部氏もそのひとつ。
長曾我部氏の元の名字は「秦(はた)」氏。
元親も公文書では「秦元親」を名乗っていたりもする。
秦氏が四国に移り、居を構えたのが長岡郡「宗我部(そがべ)」郷。
土地の名にちなんで、「宗我部」を名乗ろうとしたが、同じ土佐の香美郡「宗我部」郷に宗我部氏を名乗る一族がいたため、「長岡郡宗我部郷」に住み着いた「秦氏」を「長宗我部」氏、「香美郡宗我部郷」に住んでいた一族を「香宗我部」氏と区別したことが、名前の由来という。


で、漢字。
BASARA長曾我部は「曾」の字を使っているが、地名的にも記録的にも、どっちかというと「宗」の字の方が有力みたいなね。
映画村で有名な京都の「太秦」。

最近は、戦国イベントをやっていたり、コスプレ解禁だったり、「BASARA」のプロデューサー氏がトークショーに出没したり、何かとやらかしてくれる場所だが。


そもそも、「太秦」という土地を最初に拓いたのは、長曾我部氏の先祖と言われる秦(はた)一族であるという。

そんな場所で戦国イベントやってて、超マイナーだった長曾我部元親が今や超人気戦国武将になってるんだから、言い得て妙である。(笑)
このブログは、アクションゲーム「戦国BASARA」シリーズを愛する管理人;冥月 刀(くらづき はかし)が、それにからんで読んだ本などから拾い出した、史実ネタや、トンデモ系日本史説についての備忘録と、蘊蓄的コラム、のようなものです。


あくまで個人的に拾い出してきたものであり、多分に個人的見解も混じっていたりして、必ずしも信憑性のあるものではない場合もあります。
まぁ、こんな説もあるんだよ、くらいの感覚で読んでいただけると有り難い感じ。
…てなところを、あしからずご了承下さい。
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