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戦国武将の親戚関係というのも、政略だったりなんだりで、実にカオス。
いろんなところから嫁をとったり、いろんなところに嫁にやったり、養子にやったり。
手始めは有名どころ。
片倉小十郎の息子(重綱または重長。こちらも俗に小十郎。)の嫁。
真田幸村の娘。於梅(おうめ)姫。
諸説あるが、幸村たっての願いで、大坂の陣のさなかに真田屋敷から連れ出され、片倉家に嫁いだという。
東軍西軍の敵対関係の名目上、「戦利品扱い」で連れ出された、という話も。
こちらも諸説あるが、当時12才。
小十郎の息子とは18たら20たら歳が離れていたと記憶。
(当時18才だったという説もあるが、一緒に語られているエピソードから、幸村の兄嫁、小松殿と混ざったと思われ。そこら辺はまた別の機会に。)
奥州に嫁に行くも、婿には既に正妻が。
ただ、大変身体の弱い奥方で、自分が長くは生きられないだろうことを達観しており、於梅姫をとても可愛がり、旦那と家の後事を託して亡くなったので、その後は正妻になったという。
残念ながら於梅姫には子供はできず、彼女がどう感じていたかはともかく、幸村の血脈を繋ぐことはなかった。
幸村の血脈については、またの機会に。
いろんなところから嫁をとったり、いろんなところに嫁にやったり、養子にやったり。
手始めは有名どころ。
片倉小十郎の息子(重綱または重長。こちらも俗に小十郎。)の嫁。
真田幸村の娘。於梅(おうめ)姫。
諸説あるが、幸村たっての願いで、大坂の陣のさなかに真田屋敷から連れ出され、片倉家に嫁いだという。
東軍西軍の敵対関係の名目上、「戦利品扱い」で連れ出された、という話も。
こちらも諸説あるが、当時12才。
小十郎の息子とは18たら20たら歳が離れていたと記憶。
(当時18才だったという説もあるが、一緒に語られているエピソードから、幸村の兄嫁、小松殿と混ざったと思われ。そこら辺はまた別の機会に。)
奥州に嫁に行くも、婿には既に正妻が。
ただ、大変身体の弱い奥方で、自分が長くは生きられないだろうことを達観しており、於梅姫をとても可愛がり、旦那と家の後事を託して亡くなったので、その後は正妻になったという。
残念ながら於梅姫には子供はできず、彼女がどう感じていたかはともかく、幸村の血脈を繋ぐことはなかった。
幸村の血脈については、またの機会に。
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